独仏和解について


ここ数日の間に、複数の国会議員の先生にお目にかかりました。その際に欧州構築、そして次の日曜日にフランスで行われる国民投票について話し合いました。そこで、ドイツとフランスはどのようにして和解できたのかという質問がありましたので、双方にとって大きな努力と時間を要するものであったと説明しました。

・政治的意志 - 両国の首脳は、第二次世界大戦後、絶えず意志表明を繰り返して来ました。結果として困難を乗り越えて、共通の目的である欧州構築に向けて協力することができました。

・具体的なアクション - 両国民が親しくなれるように「独仏青少年交流公社」を設立し、両国間の姉妹都市の提携や、600万人以上の若者の相互訪問を実現しました。1963年のエリゼ条約は、ドイツとフランス政府の定期的な会合と協議を、定めています。

・共通の記憶 - 両国の歴史書とナチズムの意味に関する大掛かりな作業が行われました。

・首脳どうしの不可欠な象徴的行為 - ド・ゴール大統領はアデナウアー首相をフランス東部の自宅に招きました。また、ド・ゴール大統領はドイツに招かれ、各地を訪問した際にドイツ国民にドイツ語で呼び掛けました。後にミッテラン大統領とコール首相は一緒にヴェルダンに出向きましたし、最近ではシラク大統領とシュレーダー首相が、共に終戦記念式典に出席しました。

独仏の和解がもたらした、最も大きな成果は、ヨーロッパが変わったことです。しかし40年の弛まない努力が必要でした。それでもこのようなプロセスが可能であると証明しています。


駐日フランス大使
ベルナール・ド・モンフェラン